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大願寺について

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大願寺について

ごあいさつ

開基住職 釋龍圓

開基住職 釋龍圓
ようこそ、大願寺のホームページをお開き下さいました。

大願寺は、この度親鸞聖人750回大遠忌法要と本堂庫裡造堂二十周年記念事業として、
本堂正面に駐車場を購入致しました。

お陰様でお寺として全体の整備が出来、
皆様の聞法道場として、今後布教できることを喜んでいるところです。

浄土真宗は親鸞聖人の教えをいかにして現代を生きる方々に伝えるかが問われています。

お寺に住んでおりますと、何でこんな事に迷い・悩み・苦しんでいるのか
びっくりすることが再々あります。

私は子供の頃よりお寺に生まれ育ったことにより、世俗の迷信等に惑わされることなく生きてきました。

世間の常識が、お寺の非常識と格差があることを痛感しております。

お念仏の教えの中に、この娑婆世界を生きる悩み・悲しみ・苦しみを
乗り越えることを学んで行きたいと思っています。

皆様どうぞ、五濁悪世を生き抜く智慧を学ぶお寺として活用されますことを念願致します。

一度ご遠慮なく、足を運んでくださいませ。

合掌
開基住職 釋龍圓

大願寺年表

昭和52年 2月 初法座
4月 ご門主様ご視察
55年 11月 大願寺寺号公称認可(宗教法人大願寺)
60年 大願寺本堂建設用地購入
平成 元年 3月25・26日 京都本願寺にご本尊お迎え 220名
4月8日 大願寺本堂にご本尊入仏法要 
     記念講演:築地別院輪番 大内察爾師
6月4日 大願寺落慶法要 
     大谷嬉子前裏方ご臨席
     記念講演:元築地別院輪番・本願寺総長 藤岡義昭師
平成10年 大願寺本堂建立10周年記念法要
記念講演:宮崎病院院長 宮崎幸枝師『浄土があってよかったね』
平成16年 大願寺本堂建立15周年記念法要
第二駐車場7台分購入
記念講演:映画監督 松林宗恵師「戦艦大和」上映
平成21年 大願寺本堂建立20周年記念事業
第三駐車場26台分購入
平成26年 6月 大願寺本堂建立25周年記念パーティー

超法山「大願寺」の沿革                開基住職 釋 龍圓

思えば、東京に来たとき初めて大都会の現状を目の当たりにして、大変ショックを受けました。日本の人口の約3割が集中しているこの都会で、正信偈・阿弥陀経等々の浄土真宗の事を知らない人々の多さに驚きと落胆を感じ、何とか皆様に浄土真宗(親鸞聖人の教え)の素晴らしさを少しでも伝道出来ればと思いました。 縁あって本願寺築地別院に勤務することが出来、16年7ヶ月勤務しました。その間、東京で無ければ味あうことのない多くの経験をいたしました。その中でも親鸞聖人誕生800年の記念事業を企画室に配属になり、立案から施行まで任され、1975(昭和50)年に武道館(15000人動員)で行う計画をいたしました。 東京教区(一都八県)のお寺の住職方々、全員と言っても良いほど大反対されました。我が教団の歴史の中に、今まで15000人もの門信徒が集うことは一度もありませんでした。万が一失敗したらどうするのかと、厳しく攻められました。

しかし、多くの反対を一身に受けながらまさに命懸け、見事武道館での祝賀行事を成功いたしました。その時のスローガンが「関東に念仏の友の輪を広げよう」でした。大勢の参加者が溢れる姿を見て、今まで反対されていた住職方が良くやったと大変喜んでくださり、その感激を忘れられません。

しかし、大会が終わるとそのスローガンは名実ともに失われるような雰囲気だったので、これではいかんと一人頑張っていました。その時、昨年の6月に前門主となられた大谷光真様とたまたまお話する機会を持ち、今まで思っていた都市開教の有りようを思い切りお話いたしました。

当時門主大谷光真様は大変快くお聞きくださいましたが、今の本山の人たちには理解できないでしょうね、と申されました。私は、東京での都市開教を宗門としてやる気があるのなら、私がいつでも案内し、そのやり方を教えますと大見得を切りました。

それに反応した本山は、一週間後に東京に30名位出張され、小生はすぐさま二泊三日の予定で、神奈川・埼玉・千葉と案内し、私だったらこの場所でこうする等々大演説をしたところ、それではあなたにやってもらいましょうと言われ、当時新門様であった前門主の結婚のお祝い残り金3,000万より、その半分を東京都市開教にとのことで、早速千葉市にその拠点を作る作業にあたりました。

〈拠点の選定〉

土地の選定するにあたり、県都千葉市に作る開教拠点です。千葉市全体の中心で有ること、将来千葉市は政令指定都市になることは有望でした。ことは大変でした。ようやく都町にしかるべき土地が見つかりました。知事公舎が近くですので、必ず中央区に間違いないと信じ、初めて地主と交渉、その地主は湯浅電池で150坪ありました。その内35坪欲しいと交渉、それも東南の角地を分筆して欲しいと交渉に入りました。そんなこと言わないで全部買って下さいと、なかなか初めのうちは取り合ってくれませんでした。何とかして欲しいと再三再四頭を下げました。湯浅電池はとうとう根負けし分筆してくださる事になりました。

嘘は言わないでくださいと言うと、うちは400年の歴史があるので嘘は言いませんと言われるので、私の方は800年の歴史ある教団ですと反論し、ようやく35坪の土地を手に入れ、早速小さな家を建て大きな看板に「西本願寺千葉出張所」と掲げ、出張所を開所いたしました。

昭和52年2月7日初法座をすることができました。ときに私は38歳でした、若かったですね。

〈ご門主大谷光真様視察〉 1977(昭和52)年4月7日

開所時にご門主大谷光真様も気にされたのでしょう、まだ門主継承がすまぬ時にお忍びで訪ねてくださいました。そんなことは初めてのことです。本山でのお出迎えの時に、その時のことをお話になって下さいました。

〈開教開始〉

千葉市には親戚・知人も皆目いない状態でした。たまたまある新聞の広告で「十円玉は四角」と題名る本に出会いました。私たち凡人は「十円玉は丸」が常識です。それが四角とはと思い読んでみますとなるほど、丸であると同時に四角な面があると知らされました。 これは超常識と名付けられていました。その時に大変感激し、そうだこれこそ都市開教の根幹をなすものだ!と、伝道車で各地を伝道して回りました。これは今でも私の原点をなすものです。この応用問題を繰り返しながら、様々な事に応用したものです。

〈寺号公称認可 超法山大願寺〉1980(昭和55)年11月7日

―借りたものは返す―

前門主の結婚祝いはもらったのではなく、借りたものです。三年で全額本願寺に返金するために千葉銀行に総代長の吾郷総代長さんと行き、車で待ってもらい「支店長にお会いしたいのですが」と窓口で言うと、「どんな用件ですか?」と言われるので、「支店長に会って直接お話をしたいのですが。」と言いますと、「それは無理です・・・」と押し問答していますと、支店長が窓口に顔を出されました。「ぜひお願いしたい事があります」と直接言うと、小さな応接間に案内されお話することができました。「どんなご用件ですかと?」聞かれますので、「お寺を作りたいので融資をお願いしたいのですが」と言うと、「それでは融資の窓口に行って下さい」と言われるので「それは駄目です、なぜならば担保が無いのです。でもどうしてもお借りしたいのです。」と申しますと、支店長は「土地を担保にされますか?」と言われます。「いいえ、それは駄目です。」と。「それでは信徒名簿を出して下さい。」「それも駄目です。」「なぜ千葉銀を選んだのですか?」「それは千葉に骨を埋める覚悟ですから。それに銀行の名前に千葉と付いている銀行がいいのです。」「私はまだお寺に融資したことはありません。産婦人科には融資したことがありますが・・・。」「産婦人科には出すけどお寺には出しませんとはなぜですか?どうしてお寺には出せないんですか?だって全部お葬式はするんですか、では子供は全部そこで生まれるんですか、葬式も全部出来るとは限りませんよ。当たり前でしょう。等々問答の繰り返しで融資くださることになり1675万の融資を受けることになりました。初めて行った銀行で、担保無し、名簿提出も無しで融資を受けたことに、現役の社長であった吾郷総代長さんはびっくりし、その後はお互いに信頼関係が出来、お陰で宗教法人大願寺を設立し、築地本願寺と西本願寺千葉出張所を買収し、宗教法人大願寺を設立致しました。

〈現本堂建築用地取得〉(境内地310坪) 1981(昭和56)年1月13日

そののちに、思わぬところから近所に良い土地があるから買いませんかと不動産屋さんが訪れました。とてもそんなお金はないが、銀行でも連れて来たら買っても良いと言いますと、次の日に銀行員と一緒に不動産屋さんが来ました。まさかと思っていたので総代の誰にも話していませんでしたので、早々に役員会を開き、なんとか買入する事ができました。

折しもバブル始まる前でその決断の早さで現在の大願寺の土地を入手することができました。その後大変な値上がりでしたので、本当に運が良かったと言っても良いでしょう。

〈本堂建築に着手〉 1987(昭和62)年

しかし、本堂を建てるなんて思いもしていなかったので、屋根だけでも作っておいたら誰か仕上げるかもと冗談を言っていました。段々とその気になりやってみようか、役員方にお話し建設委員を設立し相談をしましが、誰も顔を上げません。そのはずです、全然予算がないのですから。銀行で借りると言っても1,000万円借りると1,000万円の小切手が出来ると思っていた。

その時点で金利が引いてあり、早速金利分の穴埋めをしなければならないことすら知らないことでした。どうして良いやら悩んでいる時、婦人会会長鈴木アサさんが「先生、山より大きい獅子は出ない、是非やりましょう。」と申され、その力強い言葉で見切り発車、私に任せてくださいと訳も分からない状態で始まった次第です。

〈建築会社は〉 伊藤忠太設計の築地本願寺(重要文化財)を建築した松井建設に

大手、中堅、地元各三社で厳正に入札され、建築委員会の方がたが審査の結果
東京の松井建設(築地本願寺を作った会社)が工事契約、工期は2か年
設計事務所笹戸建築設計事務所
内陣荘厳は、はせがわ美術工芸(福岡)に依頼(住職の後輩の因縁による)

〈ご本尊はどなたに〉 日本一の仏師 江里宗平師に

段々と工事が進み、ご本尊はどこの仏師にお願いしたら良いかと思っていたところ、当代随一の江里宗平師がよいと、聞き、早速当時総代長の吾郷清重氏、総代の窪園俊雄氏・山本憲治氏と平安仏子工房を訪ねました。

どうしても江里仏師によるご本尊をとお願いしたい、そして必ず本山の阿弥陀堂でお受けするので是非と申しましたところ、今まで一回も阿弥陀堂でお渡ししたことはありません。でも阿弥陀堂で受けてくださるのなら、私の最後のご奉公として1000年保つ仏像を刻ませていただくとお約束くださいました。と言ったものの本山阿弥陀堂でのご本尊受け渡し、これがとても難しいことはかねてより承知でした。今まで阿弥陀堂での受け渡しは出来ないと聞かされていました。でもどうしても阿弥陀堂で受け渡しして欲しいのです。

〈ご本尊お出迎え〉

いざ本山と交渉してみるとなかなか困難を極め、先輩は蔵の中に100年前からの立案を調べてくださったが、見つからず、途方に暮れる時もありましたが、なんとか昔からの先輩方々のご尽力で、阿弥陀堂での伝達式、門主様のお言葉を頂くとこになり、よやく初期の思いを達せられました。仏師の江里宗平氏は大変喜んで下さいました。

今度はご門主様が阿弥陀堂の前で記念写真に入っていただくことも、やはり前例が無いのでこれも大変なお骨折をして下さりなんとか念願が叶いました。

長年の歴史ある本山の伝統を、破ることは本当に難しいと痛感いたしました。

〈ご本尊お出迎え当日〉

ようやくお出迎えです。お出迎えに先立って、大願寺設計事務所、建築会社、仏具屋の職人にあなた方は設計建築はするけど完成時には居ないでしょう、この際是非お出向かいに同道して、ご本尊お迎に自社の出張費を使い同道されたらといい、それぞれ参加してくれました。

大願寺よりバス2台約110名(稚児含む)前日南禅寺前の豆腐料理屋で前夜祭、待ちに待った当日は残念ながら大雨でしたが、全員立派な着物を着て、阿弥陀堂でお迎え致しました。ご門主様より、「以前千葉に視察に行った時は、小さい民家のような出張所でしたが、このような支度でご本尊様をお迎いに来てくださったことは誠に喜ばしいことです。これからもどうぞ浄土真宗の御教えが広まりますよう念じ上げます」とお言葉を頂きました。

お稚児さんを連れてそれも100名を越すお出迎えは歴史上初めてのことで、参拝されていた多くの皆さんは驚かれました。

〈入仏式〉

4月8日、旧本堂より庭儀、お稚児さんを先頭に大勢の門信徒の待つ新本堂まで、
記念講演 大内察爾師(本願寺築地別院輪番)

〈本堂庫裡造営落慶法要〉 前裏さま大谷嬉子様ご臨席

記念講演 藤岡義昭師(本願寺総長)

4月8日、落慶法要には前門さま大谷光照さまがご臨席の予定でしたが、検査入院のため急遽前裏さま大谷嬉子さまがご臨席下さいました。

前門の名代でこのような落慶法要に出席するのは初めてです。今も足が震えています。と申されながら、関東のこの地にこのような立派なご本堂が出来たことを大変喜んでいます。このことは本山に帰り詳しく報告いたします。今後のご法義益々の繁盛を心より念じています。と力強いことばを頂きました。

〈あれから25年〉

考えてみると本当に信じられないことが、どんどん出来ました。はじめ私は千葉に行き都市開教をすると言ったら、そんなところには行かない方が良いとおおくの先輩同僚が言いましたが、こうして出来上がった本堂を見て

  あいつは まがよかったと・・・・

手助けくださった先輩、本願寺築地別院大内輪番、本山今井参拝部長、益永伝道部長には心より感謝しています。

大願寺の風景

本堂椅子
控室①
控室②
控室③
大広間
駐車場①
駐車場②